「子どもは40000回質問する」を読んで好奇心について学ぶ

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教育
こんにちは、ワーママpicaco(@wmpicaco_)です。

 

子どもは40000回質問する」という本を読みました。この本は「好奇心」とは何か、研究結果や事例を元にその役割、仕組み、大切さについて詳しく書かれている本で、私は子育てをする上でも「好奇心」について学んでみたかったので、非常に勉強になりました。
この記事では本を読んで私が理解したことをまとめます。
 

著者はイアン・レズリーさんというロンドンの作家。ちなみに訳者によるあとがきにはこの本について以下のように書かれていました。
好奇心は人間らしさの証であり、人生に大きな実りをもたらすかけがえのない宝物であるー本書はそんなのことを気づかせてくれる貴重な作品。
・好奇心の本質を探るところから出発し、歴史を紐解き、多くの事例を交えながら好奇心とは何かを論じるユニークな作品

 

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1. 好奇心とは?と、その特性

人間は他の霊長類と同じように食と生と安全と言う3つの基本的欲求によって突き動かされているけれど、人間にはもう一つ、ほかの動物にはない「第4の欲求」がある、と本では書かれていた。それが、好奇心。
純粋な意味での好奇心は人間にしか見られない。星を見上げてあれはなんだろうと疑問に思うのは人間だけなんだそう。

 

人間の好奇心は個性ではなく状態であり、つまり好奇心は環境によって大きく左右される。
したがって、私たちは生き方次第で好奇心をかき立てることも、台無しにすることもできる。
好奇心は放っておかれるとしぼんでしまう。自分でも気づかないうちに、退屈で頭の鈍い人間になってしまうのは避けられない。そんな事態にならないようにするには、何が好奇心を豊かにし、何が好奇心を枯渇させるのかを理解しなければならない。それが本書のテーマでもあるとのこと。

 

この部分を読んで、自分がいつまでも好奇心豊かな人間でいたいと思うと同時に、子育てにおいて子供たちの好奇心をいかに育てるのか、せめて、しぼませるような教育をしないようにしたい!という思いが強くなる。

2. 「拡散的好奇心」と「知的好奇心」

この本を読んで、好奇心には2種類あるということを学んだ。

 

未知なるものを求める強い意欲、それが「拡散的好奇心」
子供と言うのは拡散的好奇心によって胸を踊らせる。それが子供の開くことのない探究心の源になる。炎に手をかざしたらどうなるか土塊を手に入れ口に入れたら中を手にしたら子供たちがしきりに知りたがる。
また、大人になると今度は新たな情報や経験を絶えず求めるようになる。子供時代海の岩場の水たまりにどんな生き物がいることを夢中になったように、大人はTwitterをチェックせずにはいられない。

 

もう一つはの好奇心は「知的好奇心」
じっくりと時間をかけて長編小説を読んだり、すでに廃れた言語に没頭したりと目先の利益にはつながらない関心事を探求しようとする好奇心。
2つの好奇心の違いはそこに専門的な知識の積み重ねがあるかどうかだ。
拡散的好奇心が成長し、新しいものを求める単純な欲求が深い理解を目指す方向性のある努力へと変化したとき、それを知的好奇心と呼ぶことができるのだ。

 

今まで私は「好奇心」という言葉を使うときにこの二種類の言葉の定義を知らなかったため、特に意識はしていなかったけれど、どちらかというと「拡散的好奇心」のほうをイメージしていたように思う。
「拡散的好奇心」がなければ「知的好奇心」が生まれることもないので「拡散的好奇心」をないがしろにはできないが、ある意味危険だったり厄介だたりすることもあるのが「拡散的好奇心」なのかなと捉えた。「拡散的好奇心」を「知的好奇心」に発展させてこそ、本当の実りになる、ということが語られているように私は感じた。

3. 効率を犠牲にすること

好奇心旺盛な人々は冒険をし、さまざまなことに挑み、あえて効率を犠牲にする。
彼らは今日学んだことが、たまたま次の日に役に立ったり、問題をまったくちがった角度から捉えるきっかけになったりすることを知っている。先を予測するのが難しい環境であればあるほど、一見無駄に思われそうな幅広く深い知識が重要になる。

 

この文章はスティーブジョブズの有名なスピーチ「Connecting the dots」にも通ずるなと思った。そして「あえて効率を犠牲にする」というところ、気に留めておきたい。何かと効率、要領、生産性、といったところを重視しがちな思考が自分にはあると思うので…

4. 質問は奥深い技術

本のタイトルにもなっている「子どもは40000回質問する」についても研究結果から述べられている。
心理学者ミシェル、シュイナードの子供の問いに関する記録、に基づくハーバード大学教育学教授の研究によると、子どもは2歳から5歳の間に、「説明を求める質問」を計40000回行うと推定される。

 

質問は奥深い技術だという。
質問するには、
・第一に、己の無知を自覚しなければならない
・第二に相反するさまざまな可能性を想像する能力を発揮しなければならない
・第三に、他人から学ぶべきことがあることを知らなければならない。
それは「人間の子どもにとっても自然に発達するような単純な能力ではない。環境次第で花開くこともあれば、しぼんでしまうこともある繊細な能力」とのこと。

 

いわれてみれば確かに。子供たちに日々沢山の質問を投げかけられて、正直うんざりしている親御さんもいるのでは…私もその一人だったりするけれど、子どもがこのような奥深い、繊細な技術を使えていると思えば喜ばしくも思えてくる。

5. 学習と知識について

とある教育コンサルタントの主張「学習の手助けは不要です。子どもたちは生まれつき飽くことのない学習意欲がありますが…それは大人たちが彼らの教育に取りかかり、学業を無理やり押しつけようとした時点から消失し始めるのです。」
が出てきたときには、一瞬「そうなのか…」と納得しかけてしまった。
でも、そのあとすぐに本ではこの主張を真っ向から否定しいていた。

 

『だがこの認識はまったく正しくない。好奇心が失われるのは、親や教師から知識を与えられないときだ。ほんの少しの興味が湧いても、十分な背景知識がなければ「自分には向いていない」と思い、投げ出してしまう。知識こそが、好奇心を持続させる力なのである。』

 

これを読んで、やはり一定の学業は子どもの気が向かなくてもやらせておくべきなんだな、と日々小学生の息子の自宅学習付き添いに苦労している私にとっては励みになった。(勉強ってやる気のない子に無理やりやらせても意味ないんじゃないかな…とか心が折れそうになることがしばしば。)

 

マタイ効果」というある意味怖い効果についても触れられていた。
知識が豊富だとますます知識は増え、知識が乏しいと一段と乏しくなる。
これを読んで、経済的な貧富の格差の拡大が日本のみならず多くの国で社会問題になっているけれど、それと合わせるように知識もある人とない人では差が開く一方なんだな、と思いをはせる。なんとなく感覚的に感じていたことを言葉で定義されると残酷だとさえ、思う。

 

知識を積み重ねることは充実した長期記憶を構築するために必要であって、時代遅れでも何でもない。知識こそが、私たちの洞察と創造性、好奇心の源泉なのだ。
と、まとめられていた。

 

最近は知識詰込み型の教育が批判され、「自分で考える力」「創造する力」とかなんとか言われているけれど、自分で考えるにも創造するにも、確かに知識がないと始まらないんじゃないかなと思う。

6. アイディア創出

アイディアの創出と知識、思考習慣の関係についてはこのようなことも書かれていた。

 

『優れたアイディアというものは、頭をひねったところで生まれない。それは数ヶ月、数十年にわたる人生の積み重ねから湧き出すものだからだ。一瞬のひらめきの産物であるかのような印象を与えるアイディアも、じつは長い時間をかけて養われた思考習慣の結実なのだ。
ある人にとって個々の事実は点在する知識にすぎない。だが別の人にとっては、知識は鎖の輪の一つである。』

 

これは、最近読んだ別の本「仕事は楽しいかね?」にも全く同じことが書かれていたなとピンと来た。こちらの本では、コーラの発明やポストイットの発明エピソードに触れられていたのだけれど、これらの大発明をした同じシチュエーションにいたって、ほとんどの人間はヒット製品を思いつくことはできないだろう、ということ。

自分の、子どもの、好奇心を育みたい!、好奇心についてもっと知りたい!と思った方はぜひ読んでみて下さい。

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wmpicaco

2人の子どもを育てるアラフォーのワーキングマザー。転職経験なしの会社員。自分が本当にやりたい仕事はなんなのか?を模索しながら暮らしています。 詳しいプロフィールはこちら
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